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5年!東日本大震災時に役立ったものを振り返る。

5年前の2日前、東日本大震災が起きて、僕は仙台駅近辺の会社で働いていたので当日は徒歩で2時間かけて帰宅。電気は1週間、水道は2週間ほど止まっていました。ガスはもっとかな。

周囲のお店には物が入ってこず、1km圏内まで津波がきていた自宅近辺はちょっと足を伸ばせば、地球の終わりのようかの景色が広がっていました。

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とはいえ仙台駅中心部はこんな感じで全然普通だったんですけどね。

ちょっと出遅れましたが、当時を思い出しつつ役に立ったものをまとめておこうと思います。
いつか、万が一似たような災害が起きた時に役立つように。

再度書いておくと、僕自身は津波の直撃は受けていません。
多分「震災でそこそこ大変で、そこそこ物が手に入れられない人」向けの情報です。

 

 Twitter

当時ガラケー使いでしたがそれでもTwitterは大活躍してくれました。
(ちなみに電気の復旧が早かった勤め先で充電していました)

メールなどが軒並み使い物にならなかった中、Twitterは情報収集に大いに役に立ちました。
震災の発生を受けて現場レベルでサーバ増強をしたからなんだそう。

そのとき、段ボールに詰まった未開封のサーバーがコンピュータールームにあることを思い出した。次の週に、これらをセットアップする予定だったのだ。彼は自分自身の判断で、これら全てをラックに入れ、日本向けのサーバー数を3倍に増やした。

あの日、Twitterのくじらが出なかったもう1つの理由
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1401/08/news082.html

一方でガセネタも多く、振り回されている人も周囲にいました。
「友人の友人」、「知り合いの陸上自衛隊」などが最もらしいけど出処があいまいな情報はウラを取るようにしたほうが懸命です。

そんなTwitterも震災から5年という節目を機会に新しい取り組みが行われているようです。

Twitter、東日本大震災から“#5年目”の取り組み、ユーザーが住む市町村に関連したアカウントを探しやすくする機能など
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20160311_747836.html

 

サラダ油の簡易コンロ

サラダ油とティッシュ、アルミホイル、空き缶くらいがあれば作れる簡易コンロです。
3月のまだ寒い中、暖かいものを食べられるのはありがたいこと。
ちょっとした調理ならこれでできましたし、最悪ろうそく代わりにもなります。

文句は言えませんが、すすがすごいのが難点。

http://niki2times4.ktstv.net/e22153.html

奇跡的に当時、この簡易コンロとミニ土鍋でご飯を炊いた時の写真が発掘できました。
炊飯器以外でご飯なんて作らないし、火力調整なんてできないので感覚で作りました。
ちゃんとご飯になりました。

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仙台中心部という場所そのもの

仙台中心部にあった勤め先。
電気の復旧も早く、翌日か翌々日くらいには給湯室も使えるようになっていました。
おかげで早い段階からシャンプーをできるというリッチな生活してました。

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食事にもありつきやすかったです。

仙台の場合は仙台朝市という商店街があり、そちらで食材の調達ができました。
大混雑でしたが。

当時の仙台市内はまるで冒険の舞台。
普段通らない小道を通ると意外なお店があったりしてうろうろしがいがありました

「どこどこの裏通りのお肉屋で卵が手に入る!」みたいなことをみつけた時は感動モノです。

 

自転車の頑丈な鍵

電車が止まり、車はガソリンの入手が困難だった中、燃料もいらず小回りの効く自転車は移動の手段として大いに役立ちました。
電池式のライトだったので証明としても大活躍です。

ただ、被災地はいわば無法地帯です。
マンション敷地内に止めてようが盗難リスクが発生します。

僕の自転車も盗難されそうになりました。
ある朝自転車を見たらワイヤーの鍵に深い切れ込みが入っていました。ぎりぎりセーフ。
本当に良かった。

 

行動力

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震災当日、一度だけ避難所に向かったことがあります。

でも、最終的にはその日のうちに自宅に戻りました。
未知の震災。自分の住んでるマンションが倒壊するかもしれない、そんな不安もありましたが自宅に戻りました。

翌日からはあちこち移動して回りました。
おかげで退屈することはなかったです。
食料や状況を早い段階でつかむことができました。
道路向こうは水道が使えることがわかりました。

結果的にOKだっただけかもしれませんが、行動して良かったと思っています。

 

戻りたくはないけど刺激的だった非日常

震災後の1ヶ月くらいはとても刺激的なものでした。
あの感覚を今後の人生で体験することはないんでしょうね。

家族などを亡くされた方に失礼なのを承知で書くと、人間として生きる力が試されるゲームのようなひと時でした。ある意味で楽しかったです。

ただ、サラダ油コンロを使わないといけないような事態には金輪際出会いたくないですね。

そんなこんなで

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